快晴、美弥子ご機嫌良し。体調が回復したらしい。げっそりと痩せた感じがする。ー悩みがあったのだろう。茨木君に返書を作成した。電電の高等部を出て今日まで司法試験にチャレンジしてきた。望みは残念だが達しなかったが、その苦労はおそらく彼の右に出る人はいないだろう。手紙には見え透いた励ましの言葉は敢えて書かなかった。男はみな苦労している。励ましの言葉は書きたい。しかし私自身比較の対象にはならないが男はみな同じだと思う。これから一人の父として、努力した男として付き合っていきたいと思う。

美弥子は一人で先日の胃腸病院の検査の結果を聞きに出かけた。不愉快な1日だった。なぜトラブルになったのか分からない。どうも私が原因らしいが何故か思い出せない。仕方がない頭のボケがいよいよ可笑しくなったなったようだ。詮索する気にならない。もう嫌になった。

美弥子が体調が悪く食が進まない。明日早朝胃腸病院に行くというので私も同行することにした。茨木さんから送られてきた「86年の人生」もそろそろ2週間くらいになるだろう。私の生き様と比較するとかなり差がある。感想を書いて送らねばならないがなかなか思うが纏まらない。大変失礼なことだがなぜ「生きた証」を「語る」として本にまとめて他人に送るのだろうか。感想は彼の人生を肯定し賛辞を贈ることはになる。生き方はそれぞれ異なるが皆精一杯生きてきた。生きてきたた環境は異なるのは当然で何故纏めて他人に知らしめなければならないのか。遅々として筆が進まない。彼には大変申し訳ない。一寸アルコールが入って茨木さんに失礼なことになった。筆が進まないのは私の世界観がおかしいだけでなく無知、非常識,やっかみ、なのだう・・・・
一寸アルコールが入っ手筆が進まないこと許してください。

今日は子どもの日、以前は端午の節句の日とも呼ばれた。鯉のぼりを挙げている家は見かけない。子供連れて大介が遊びに来た。3年前来た時と比べて大きくなっているのには驚いた。挨拶ほどほどに持参のメール玩具で二人とも見向きもしない。いささかあきれた。美弥子がお小遣いをやったようだがゲームに夢中で顔も上げない。まったく今の子供は・・・大介も小さい時もこんな調子だったのかもしれない。爺ちゃん爺ちゃんと呼ばれるが今の子供は・・・・夕方から雨が降ってきた。コロナは変化してますます感染者が増えていく。テレビを見ても何故かマンネリになった。オリンピックはどうなるか。些か新聞、テレビは同じことの繰り返しに感じるようになった。

快晴。美弥子ご機嫌悪い。どうも私がチョンボしたらしい。今もって原因不明。茨木さんの自分史は感銘した。信念をもって目的の司法試験にチャレンジした人生に敬意を表したい。出版した人生物語の生きる意欲の迫力に感銘し、感想をと考えたが偉大な人生観に圧倒されたといえる。感想を求められたが圧倒されて筆が進まなかった。しかし今日の私の恵まれた環境は、彼の生き方とは異なるが比較することはできない幸福な人生を送っていると確信している。これは紙に書く事の出来ない幸せだと自負している。美弥子をはじめ聡、大介そしてチビ達。これは私の宝だ。今夜は少々アルコールが入ったが誰にも負けない、私の宝だ。

トラブルの原因は良く判らない、いつもつまらぬことからお互いに勝手なことを言い合うのが大きくなったのだろう。口も利かずに時間の経過が解決するので放っておくことにする。午後から雨が降った。先日胃腸病院の処方薬が不足しているのでクレームを言うと今日郵便で送ってきた。昼から雨、一杯飲んだが、面白くない1日だった。

夕方池歩きの途中から小雨交じりの風が強くなった。美弥子ご機嫌斜め、良く判らないが何かに反対しかったようだ。茨木君から「自分史」を送ってきた。日本最高齢の弁護士を目指していたが、諦めたようだ。中学を卒業して新宿高校夜間部4年の時同じクラスだった。そして昼間は同じ電電公社の機械屋さん。私は線路屋で同様の会社なので仲が良かった。私が結婚してからも美弥子と交えてゴルフに行ったこともあった。その後会う機会も少なくなり風の便りに高等部からデータの職場に進んだと聞いた。10日前 突然自分史を出版したとのことだった「語る 生きた証となるものを」とデータ局時代の活躍ぶりと、弁護士に向けて頑張ったこと、家族特に娘さんが障害者で終の棲家を作った事 など苦労したことを一言も言わず表題の通りのことを記していた。小さな本ではあるが自分史として生きた記しとして出版したことに感動した。先週彼から読んでくれたかと電話があった。早速感想をと思っているが、己の生き様を考えると正直返事に躊躇している。安易な言葉は書けない。何か言葉をと思っているが・・・・
明日にでも「先ずはご苦労さん、お互いにゆっくり人生楽しもう」と正直にと思ている。

快晴。耳鳴り止まず。美弥子と南古谷駅前の大平耳鼻咽喉医院にを訪れた。診察結果加齢からくる耳鳴りでやむを得ないとのことだった。1日3回食後1錠を1か月分処方してくれた。耳の煩わしさのがなくなる事を期待したい。帰途久しぶりにコ「やオコウ」
の買い物に付き合った。茨木君から先週「自分史」を作成して送ってきた。彼は夜の新宿高校で机を並べた友人だが私と異なり苦労した。86歳の今日まで他人では出来ないこととして弁護士試験にチャレンジ。結果悲願は達成しなかったが夢を失わず今日まで努力した。友人の一人として尊敬できる男だ。私も夢を持ち生きてきたつもりだが、彼の足元にも及ばない。返書をと机に向かうが、筆が進まない。私は怠け者であるが現在の環境、妻と子供、孫に囲まれ幸せを堪能している。いずれにしても彼の「自分史」・・生きた証となるもの「語る」は改めて拍手を送りたい。

耳鳴りが無い朝は気分がよく胃腸病院の薬の結果かと喜んだが、残念昼から昨日と同じ症状になった。しかし負けずに池1周。負けるもか・・・昨日歩きの帰りに山下君に会った。あまり元気がないがお互い様だ。と思いついて野沢さんに近況をと電話をすると相変わらずの元気な声でほっとした。最近河川でゴルフに挑戦したが107のスコアーだったと言う。かっての優勝している勇姿思い出して2人で大笑い。まあ元気でいるのでほっとした。今後健康維持のため隔日に池歩きを始めた今日で4週を頑張ったが今後も無理をせずに続けたい。

早朝、胃腸病院を2人で訪院する。先に予約した武藤医師に診察を受け従来から継続して胃腸の医薬を、美弥子も別の先生の処方薬を受ける。私はこの投薬を服用して何年続いているだろうか。美弥子は診察結果は良好だと診断されほっとした。両人とも年齢70.80の爺.婆になった。何とか病を食い止めてこれからも楽しい人生を送りたいものだ

月別 アーカイブ