快晴、早朝美弥子と角上に正月の買出しに行く。午後3周。少々バテタ。体重59.6キロ。今年は自分のエゴで健康を損ねた。喜寿というレッテルはよく判らぬが寿の字があるのだからきっと良いのだろう。しかしそれは自分で探して捕まえなければならないと思う。今年はカレンダーに行動を記帳したがよく動いた。しかしイレウスは遠慮が無かった。3周は152日912キロ。2.3日に1日は歩いた事になる。これを参考に来年は「動」をもっとうに生きていこう。視野を広く持って。2010、H22さようなら。
2010年12月アーカイブ
快晴、モモの薬を貰いに行くついでに新河岸川土手を1時間半歩く。暫らくぶりの「富士山」を詠う。発掘資料を整理、平成14年から18年5年間30以上の現場を発掘したことに我ながら驚く。午後キッズで腹を温め佐藤医院を美弥子に案内される。予てからポーリアの繰り返し治療が気になるので美弥子から佐藤医院を勧められていた。医師も病院の雰囲気もかなりポーリアと違って信頼が持てそうな感じがした。ポーリアは決して悪くなく医師も信用できる人物で約10年お世話になった。しかし、義歯が欠けたり口腔内のかみ合わせの不自然がかなり長期になるので些か困惑して美弥子に愚痴をこぼしていたところだった。早速の応急措置は今までに無い安定感もあり、今後佐藤医院を専門医院とすることにした。イレウスの事もあり消化不良がいくらかでも回避できる事を期待したい。
快晴。美弥子が撮ったハワイの写真を40枚近く焼き付ける。太陽が強いので逆向は真っ黒。午後高階ネットの例会は来年の講座の担当を協議して、布瀬川、宮岡のABと牛窪、岡武ABのインストラクチャーに決まり、プロジェクターは井藤、鈴木文子と鈴木峰雄と阿諏訪の2組に決まった。早速1月から練習に入ることとなった。終了後大穀で忘年会、車で迎いに来たので玄関まで送った。残念、残念。松山の柴田さんから1月14日(金)クラスの新年会をボッシュで開催に案内がメールできたが、3週間あるのでそれまでは快復するだろう。出席の返事を出す事にする。
曇り、イレウスの再発の心配もあり高階ネットの忘年会を欠席する旨連絡した。また昭和37年27歳のとき盲腸の手術をしてから癒着によるイレウスの発症は今日まで13回を数えた。そのうち平成17年70歳から8回のうち救急入院約8日間を5回である。また今年になって4回の発症でつい11月12月連続して発症しいているが不注意なのか慢性化なのか困ったものだ。いずれにしても院長の指示を常に意識して毎日の生活を慎重に行こう。
雨後曇り、昨夜は心配された痛みも無かった。一応救急を考慮して、ボストンバックの用意をしたがよかった。胃腸病院に開院前に受付、11番目となって10過ぎに院長の診察を受けた。X線検査の結果腸内にガスがありイレウスの症状で点滴を昼の2時まで受けた。詳細は別記録の「入院、健康管理記録」に記録した。明日も1番で受診する事になり、それまで流動食、朝食は抜きになった。手術についてはどの医者もリスクが大きいと敬遠される。4~5年前に院長に受診したが、優しい中に厳しい面がある。今まで流動食は粥と思っていたが重湯のことだと叱られた。明日は史蹟クラブの忘年会がありどんなものか質問したら、一喝された。しかし主役なので困っている事を話すと、明日の検査を見てみようといってくれた。まあ、明日は顔を出して用件を済ましたら宴席には出席しないでおこうと思っている。その旨、団原氏に電話をして了解を得た。今晩は重湯にしておこう。今のところ体力は未だ大丈夫のようだ。
終日雨、ネットの例会はWORD2007のしおり作り。全くの初心者と同じ、何故2003のままで良かったのでは思うと腹が立つ。これもメーカーの戦術か。仕方がないので覚えるしかない。帰途キッズに出かけたが下腹部に痛みが感じられた。風呂に入る前に水状のの下痢があった。帰宅後食欲も無くまたイレウスが着たかと入院のバックをチェック覚悟をした。夜8時頃無理にトイレで5分ぐらい力むと下痢上の排便が少量あり楽になった。このまま落ち着ければ明日胃腸病院に受診してみる。今考えると一昨日あたりから強烈な臭いの屁が連続して出ていたのが、何か気になっていた。忘年会を控えているので憂鬱になる。何とか今晩は静かに過ごせないか、ただ祈るのみ。夕食は抜いて9時に床に入る
快晴、下痢になったが昨夜の焼酎の影響か。自分の腹に些か腹が立つ。上谷の大クスをUPした。午後から詩吟の例会に参加。石川丈山の富士山を練習した。新河岸川の土手の練習で自信がついたつもりでも矢張り自己流。講師から食事をしているかと再三聞かれるが3キロ痩せたのが目に付くようだ。私はそれほど感じないし、声も張りが出ているように思うのだが。まあ、あまり気にしないようにしよう。
快晴、8時10分越生公民館の指圧クラブに出席した。会長とペアを組む。今年最後の活動。5月から半年以上経過するが、指圧の技術は初心者だが、指圧の心はなんとなく理解できた。来年も是非続ける事にしよう。講師の奥さんから頂いた手作りのアンパンを昼食にして、上谷(カミヤツ)の大クスを見学した。こうなんからは車で僅かだが観光案内図は現地と紛らわしく間違えて越生の山中を遠回りした。予てからこの眼で確認したいと思っていたがその大きさには驚かされた。根周り15メーター、埼玉県NO1の巨樹で丁寧に保護されていた。日本では16番目とか。何とか県下10位までの巨木訪れたい。帰途大田道灌親子の墓がある龍穏寺に行ったが、これも山の中、墓は想像以上に質素でこれも驚かされた。寺の人に聞くと、道灌は謀殺されたのも一因だが、江戸時代以前は墓は質素だったとのこと。大きくしようとは思った事もあるが当時をそのまま残すべきだろうとのことだった。年の瀬も迫ったが天気も良く、勉強になった。早速夢堀にUPしよう。
快晴、終日年賀状の宛名印刷。筆王も古いのか反応が遅い。プリンター挿入口で引っ掛かりてこずる。年賀状の上下を間違えて途中で気が付き20枚ほど失敗した。午後3周、テープレコーダーをかばんに入れて川の土手で聞きながら「富士山」吟詠した。土曜日の例会には自信を持って詠いたいものだ。