2018年11月アーカイブ

快晴、何故か腰部が痛む、原因はダントレか、プールは寒いので歩くことにしたが、たかが30分むしろ歩き足らないのか、まあのんびりやろう。
 エクシオ同友会の会報誌が送ってきたがプロ並みの構成には驚いた。私が気儘にやっていた当時と比較できないプロ並みだ。しかし懐かしい。そしてN出身の会員が少なくなって寂しい。数人の亡くなったことが記事になっているが時間の経過が昨日のような気がする
 いよいよ新年がマジカニなってきた。最近何故か物忘れが酷い。小学校時代の軍事郵便の番号が70年後の今日まで忘れることなく現在の銀行のカード番号に使っているのが得意だったが、昨日お引き落としの際何故か忘れて立ちすくんでしまった。・・・・まあ他人に迷惑をかけるわけでないので我慢しよう。
 いよいよ年賀状の時期になった。しかし寂しい限りだ。腹を割って話せる友が・・・・・
 まあ順番だから気にするのは止めよう。このセブンもお別れ、新年は10を友にするが、付き合いが出来るか心配だ。親しいパソコン仲間に送る年賀状に気持ちを送った。 「七つの子、天に救われ八十路越え」来年からwinndow7から10に更改する何か期待と不安が交錯する。しかしたかがパソコンだ のんびり楽しもう。

11/25(日)ダントレ歩行50分

快晴、自転車も今朝は気温も温かく快適。体重は58キロ一寸体重が落ちたようだ、ダントレ、歩行は50分、無理をせずに体調は維持したい。終わってジムの出口で美弥子と会ったが、むっつり
のまま。80過ぎてこのざまは人には語れない。私も大人げなく感情に走って反省している。しかし美弥子の幼稚さには呆れるがこれが夫婦なのだから私も反省すべき点が多い。このまま課題を残して人生は終わるのだろうか

快晴、午前中はダントレ30分。体重58.4キロ少々痩せたようだ。午後年賀状の準備、かなり絞っても100枚以上になった。年末の喪中連絡が年々増えていく寂しい限りだ。年賀状の作製ソフトは先月デスクトップの故障でそのまま処分したので仕方が無い明日からポチポチと書かねばならない。のんびりやろう。

真冬の寒さの中、自転車で埼玉医大に出かけた。天気は良かったが真冬の寒さには参った。
病院は川越からバスが出ているが、概ね1時間かかるが自宅から30分だった。
以前鈴木脳外科で頸部血管が異常だとの診断を受け、その後毎年末埼玉医大大宅医師に診てもらっていた。先の診断では良好との話であったので今回最後の診察になればよいと思っている。
結果は12月10日。帰途ジムに寄って風呂に入り暖を摂った。体重58.4キロ
 昨夜は何故か睡眠時間が3時間だった。寝たのは夜中2時時ごろだったと思う。
今夜は早く寝ることとする。
 史跡クラブの忘年会の案内を周知したが皆さん年末は予定が詰まっているようだ、まあ何とか最後の佐野さんえのバトンタッチは無事に終えたい。
 

快晴、何日ぶりになるか。美弥子相変わらずダンマリ。2人は大人げないが基本的に為子叔母さんの扱いの考え方が異なるので仕方が無いのか。私は間違っていないと信じるので妥協の余地は無い
。お互いに今までの生き方が異なるので簡単にはいかないだろう。歳越もやむを得ないと覚悟している。
 喪中の葉書が多くなった。仕方が無いが心からお悔やみを申し上げることにした。
 史跡の忘年会の案内を出した。今日2人から返事が来たがなぜこんなに忙しく過ごしているのか興味がある。25日締め切りだが様子を見ることにしよう。まあ忙しいのは結構だ。

美弥子は連日私を無視して終日何処かに出かける。気持は判らない事もないががあまりにも身勝手だ。為子さんのことで美弥子を攻めたのが原因だ。あまりにも幼稚すぎる。しかし此処まで追い込んだのは私かと思う。どうするか。・・・・真理ちゃんが為子さんを戸籍に入れたのは身勝手なことと思っていた。しかし独身で人生を送っていることを考えるとまりちゃんのハウスで老後それも団体のたえがたいだろう生活を送るのはと思う。それを酷と思い現在のハウスから美弥子がウイークリーマンションに真理ちゃんの承諾を得ず移すことは、美談どころが勝手な人騒がせなことと責められても仕方が無い。間もなく90歳になる為子さんを自由にしてもこの先生きる期間は短いだろう。
 その時法的(戸籍上)に扱うことは先ず美弥子には出来ないと思う。
為子さんには厳しいことだが人生の終局が悲劇と思うだろうが、しかし真理ちゃんが法的にも人生の終局の華を飾ってくれることを考えてほしいと思う。
 

4日土曜日真理ちゃんから電話が有った。態度は穏やかで、静かな口調だった。しかし今回の件は私が唆したのだろうとの気持が伺われた。
 振り返ると美弥子が以前から他の介護施設をと探していたので公民館の傍にある介護付きのマンションを以前私が覗いたことが有るので参考にに良いと2人で訪問した。
 美弥子の話では真理ちゃんの施設から簡単に移動できると私が思っていたがそれが間違いだった。仮予約的な話をして後は為子さんを連れてくるだけと思っていたのが間違いで、真理ちゃんの施設に電話をしたが担当から拒否された。よく考えると介護に関しては法的にも第3者が勝手に
退所することは出来ないとのことらしい。
保護責任者の真理ちゃんから多分担当に連絡が有ったのだろう。一時的な退所は気分転換を図る意味から許されることで、退所は保護者の責任上十分な話し合いが必要になるのは当然なことだろう。美弥子は真理ちゃんと幼い時から姉妹のような関係だから安易に考え、私自身も軽率な行為だったと反省する。
 その夜、美弥子と激しい言い合いとなった。ウイークリーマンションを為子叔母さんのために探すというそぶりを示したからだ
 今考えると、幼い時から母親代わりの世話になり、独身を通し兄弟同様付き合いが90近い高齢を迎えて現在身体も不自由な病の身になってしまった。性格的に明るく趣味も多々、人情身が厚く友人が多い。それだけに現在の施設の生活は美弥子にしてみれば耐え難い思いだろう。
 わたしが相原先生の家族を見て理想的な家族だと正直思っていた。しかし、現在ホームでの生活は本当に耐え難いだろうと思う。私はその点恵まれている、八十路を自由に勝手に楽しんでいるが
これはカミサン、成人した子供、そして孫がいるからだ。
 何とかしたい。美弥子が焦るのは当然だし、私自身も同じ思い、我々が出来ることは今の先ず真理ちゃんの気持ちの中に我々の真意を何とか理解してもらうことに努めることだと思う。
 正月もマジかだ。先ず岡武一家で1~週間ゆっくりしてもらう。また毎月一周間程度来てもらう
これも定例化する。これであれば真理ちゃんも話せば理解するだろう。その間真理ちゃんには静かに為子さんが今までの独身時代から現状は可哀そうだと、残り少ない人生を笑いのある生活に相原
岡武の姉妹孫がバックアップして上げてはと提案する。きっと真理ちゃんも理解してくれると思う。以上気に入らないところが有るだろうが私としては精いっぱいやれば通じることだと信じている。そして為子さんの笑顔を皆で歓迎しよう。

  美弥子の考えを聞きたい

9時半、やまぶき会館の「吟詠と剣舞、詩舞の集い」に参加した。夢風会から小菅先生以下7名が参加日頃の練習の成果を発表した。私は蘇軾の「望湖楼の酔書」を吟じた。残念ながらアンチョコ
を見ながらだが仕方が無い。又男女合吟の「本能寺」は先生から酷評を頂いた。努力が足らなかったことは反省しよう。
 終わって鉄炮塚、小林さんの3人で、新河岸「BIG」で今後も若さを駆使して元気に行こうと話し合った。

快晴、昨日の疲れがやはり残る、これも歳のせいだろうか。しかしまだ頑張るぞ。
 美弥子が本音をしゃべり始めた。M ちゃんとはかなり苦労をしているようだ。聞いてみれば同情する。深刻な問題だが近年の老人に対する考え方、見方が大分変化したようだ。後期高齢化社会の問題点がよく言われるが・・・・私たち夫婦も高齢化社会となって今までにない対人関係、親子の問題、老人の健康を真剣に考えなければならない。為子叔母さんを快く迎えたいと思う。
 四国の小野さんに電話をしたが何回も不在だ。このところ富士見。鈴鹿等の友人がこの世から旅立っていく。下さんに連絡すると同感だという。暫く様子を見よう

8時30分宇都宮発今市の関東バスに乗る。大沢で下車、街道歩きも最終の時期に来た。詳細はアップしたが疲れた。疲れた。八十の路は厳しいが、一人街道わきの田んぼ路に座って、日光男大山の素晴らしい容姿を眺めながら握り飯をほうばると生きるエネルギーを老体に与えてくれるような喜びを感じた。しかし疲れた疲れた。明日も多いに人生を楽しむぞ。

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