2011年10月アーカイブ


快晴。体調を考えて今週のふる伝懇親会と、こうねん授業と夜の反省会は欠席する旨、東松山の幹事とこうねんの班長後藤氏に連絡した。当初両日はかぶの会の霧降高原一泊旅行が計画されていたのを学園の行事優先で断っただけに残念だ。しかし体調優先なので仕方がない割り切ろう。川越検定の受験案内が来た。来年こそはと考えていたが、最近友人の名前を思い出すことが出来無くなることがしばしばあり、自信が無くなっている。2月19日が試験日だから後3カ月を残すがこの期間で万全を期すことができるか。明日でも再考しよう。たかが川越検定、なんの役に立たないことは知っているのだが。午後佐藤歯科で治療し下の義歯がやっと完治した。10カ月約7千円。上歯は年内できるか。帰途キッズで流し終わる。

小雨、朝8時半に胃腸病院に行く。早速X線検査、次いで副院長の説明でガスは少量でイレウスの心配は無い。消化のよいものを食べるように説明があった。点滴2本、約3時間注入した。便秘の症状が3日続いたらラキソべロン液を今後注意して服用を励行することとする。来週の古さと伝承科のクラス旅行を欠席したい旨小山さんに電話した。原間井さんから26日に渡辺さんたちが会おうとのことを連絡してきたが、現状を説明して12月に会うこととした。
快晴。美弥子は墓参りに出かけた。谷中を井上さんと一緒に散歩をするとか。午前中胃腸の薬が切れたので処方の窓口に行ったところ、下痢が激しく最近体重が減ってきたことを告げると栄養の点滴を勧められ約3時間点滴をした。昼食は遅くなるので夕食を考えて少量にしたが結構空腹なので口にした。帰りに美和さんで散髪をして帰宅。夜イレウスの前兆に似た腹痛で入院の用意だけして訪院。八田医師(女性)に受診した。痛みは止まったが水分補給が大切で入院を勧められたが、痛みが治まり明朝1番にレントゲンでイレウスかどうか診察してもらうこととした。医師は昼食にサツマイモを食べたのが原因と考えられると言っていた。腸がごろごろなるのはガスが閉塞しているためのようだ。病室は個室で1万5千円とのこと、腸の動きが無くなると水分補給が無くなりイレウスには良くないので当面点滴と同じ成分のスポーツドリンクを飲むように勧められてひとまず帰宅した。痛みが激しくなったらいつでも来院するように言われた感謝感謝。
昨夜来の雨、今日の例会は岳昌先生の指導で3日の発表会に備えて指導を受けた。合吟に次いで、各人が吟じた。50余歳には見えないエネルギッシュな吟じ方は勉強になった。私は大会で吟じる「不識庵機山を撃つの図に題す」頼山陽を吟じたが元気に吟じるように指導された。終わってぽんぽこ亭で先生を囲んで懇親会を行い楽しい夜であった。

6/13(木)こうねん大学祭

快晴、早朝5時起床、こうねんに向かうが意外と混んで7時50分の集合時間ぎりぎりだった。駐車場係の担当で9時半まで案内をした式典の後、指圧のデモで3時まで4人を行ったが皆に喜ばれた。合間に体育館の会場で各クラブの発表があり、大脇さんの詩吟は結構巧かった。3時半終了そのあとパーテイがあったが5組の参加者は3人なので欠席して帰宅した。夜は久しぶりにお湯割りを飲んだが結構効いた。腹は何とかなるだろう。

快晴。公民館の文化祭を整理して夢堀にアップした。原間井さんから珍しく電話があった。渡辺さんが80歳になったそうで是非会いたいとのこと。私の不調を説明して皆元気な再会をと年の暮れに集まることとした。どうも腹の調子が悪いが何とかならないか。・・・・

s-IMG_0156.jpg s-IMG_0143.jpg快晴、大介たちは昨日の夜一泊。聡たちに連絡をして皆で秋が瀬に出かけた。 来瞳は元気に育ち、良く嗤うようになった。秋が瀬は流石連休だけあって駐車に難儀をしたが何とか1時の昼食が出来た。3時過ぎまで楽しんだが大介がこまめに進行役を引き受け、赤ん坊の面倒まで見るマメなテテ親ぶりには感心した。6時に帰宅腹の具合を心配しながら結構食べたが明日はどうなるか。己の体も大事だが家族団欒には問題にしても仕方がないと自分を納得させた。。

快晴。まだ少量だが下痢が続く。文化祭の私の作品「高階ネットだより52号」に投稿の感謝の意と、会場の写真を皆に送る。後藤氏に大学祭の昼食券の配布方法についてメールで照会した。午後から佐藤歯科で治療し、帰途キッズで腹を温める。大介が家族で連休なので今晩来るとのこと。秋が瀬でバーべキュウをすると言っているが・・・・・・・。
IMG_0114.JPG快晴、3周。体重60キロを切る59.4キロ。下痢症状が続く。1週間前の強烈な下剤の影響か。午前中公民館の文化祭が明日から始まるので作品の展示の準備を行った15名の作品で例年通りで変わり映えがしないが皆さん頑張って作品を作ってくれた。夜立川で幹事会を加賀見さんを除いて5人が立川市内の居酒屋で旅行の件でうちあわせた。現在幹事の吉沢さんを除いて16名だがこの数日の私の体調を考えて申し訳なかったが不参加を申し入れた。15名ギリギリになったが。皆気持ちよく理解をしてくれたのでほっとした。流石にビールは遠慮して酒を少し口にしたが、健康が一番だとしみじみ感じた。 IMG_0110.JPG

10/6(木)こうねん指圧クラブ参加

10/4 小山君の通夜出席

高幡不動の観音院の通夜に行く。当時の係長だった井上さんは85歳とか、脚が若干不自由と言っていたが昔と変わっていない。通夜の席はNTTの懐かしい顔に会う。奥さんは50年前と変わったが面影が残っていた。住谷くんが受付をしていたが彼と数人しか残っていない。実の淋しい。栗さん、やっサン。ナベ中、本田さん、浦和の霜田君、皆あの世に行ってしまった。帰途吉川さんと4人でお茶を一緒にした。親父の話が出来る人も本当に少なくなった。いつまでも生きたい気持ちがあるが、悔いのない人生を送りたいと思う。
11月の陽気・やっと鎌倉めぐりのUPが出来た。腹の調子がおかしい。体重は60.5キロ、もう齢なのでやむを得ないか
快晴秋晴れの好天気だが風が強かった。3周。午後例会出席、文化祭の搬入、交流会は不参加等打ち合わせた。松本さんがまた入院したとの連絡があったので帰宅後周知した。先日退院して退会の意思表示したのを毅然と継続すること言っていたが病には勝てぬのか残念。胃腸病院退院から40日経過するが体重が2キロ減ってきた。現在60キロを割っているが、加齢なのか。食事は美弥子が粥にして消化の良いものをと気を使っているが何とかあと2キロぐらい欲しいものだ。
小山君、高橋ひろみさん.jpg 小山君八方尾根.jpg快晴、午前中、中込さんに連絡元気だった。写真を整理。50年前の思い出の写真を家族にお渡ししようと思う。午後UPが送れた鎌倉めぐりPART2を整理した。
快晴、夕方住谷くんから小山さんが昨日亡くなった電話を受けた。ショックだった。20代四谷電話局で現場にいたころだから50年以上の付き合いになるだろう。特に施設部の第2線路のときは同じ仕事であった。退職後協力会社は異なったが同じ立川で同じ線路屋のよしみでゴルフを一緒にしたもんだ。特に奥さんと恋愛中に美弥子と4人で小田原までドライブに行ったこともあった。人生で彼ほど人間性の優れた男はいないと確信する。聡と同年代の小学生の長男を事故で亡くし体が不自由な女の子も無くしたにもかかわらず常に明るくスポーツが得意な好青年だった。残念だ。当時の係長の井上さんに電話をして4日の通夜に行くこととしたが。当時の井上さんの部下だった仲間が住谷氏と私だけになった。思い出すと涙が出てくる。何れは人生全うして別れる時が来るのは必然だがあまりにも突然すぎる。心から冥福を祈る。

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