2022年5月アーカイブ

朝8時半、聡が迎えに来てくれた。便秘の浣腸薬が無くなったので、胃腸病院に浣腸薬を貰いに合わせて新たに東上線川越駅の直ぐ脇に「川越消化器クリニックが最近営業開始ていることを聞いた。駅から近くなので今後はクリニックで診察を受けることとした。過去の健康管理の資料は全てそのまま移転するとのことなので、現在の自動自転車を徒歩に変更し怪我が生じることが避けられるようになると思う。聡は良く両親の老化に伴う怪我を心配してくれている.有難う。美也子は日増しに回復し口もますます達者になった。私もそろそろ老化で今迄のような動きは出来なくなった。自転車は便利だ。体力もシャカリキに使わないで済む。しかし事故発生率は美也子が現実の姿であろうと思う。思い切って毎日の安全な生活、長生きをして人生楽しむこととしたい。

いよいよ暑い夏到来か?のんびりの日曜日、久しぶりに部屋の掃除をする。午後ぶらり池歩き。体力維持のため隔日池歩きを続けることにした、・・・・いつ迄続くか判らないが、ぶらぶらしても仕方が無い。先日聡が白板に文句を書いて置いて行った。①お薬を飲む②ラジオ体操、散歩、ems実行、③お風呂に入る④義歯を洗う・・・どちらが親なのか?まあボケ親父だが頑張るつもりだ。夜食中つまらぬことで、美也子おかんむり。池歩きの途中ベンチで一休みの時、目の前で屈強な中老の男が柔軟体操をしているので、まだまだ若いと感想を言ったら,暫くして『貴方は御幾つですか」と問われたので「そろそろ90歳」と答えた。美也子は「それが気に入らない」と険しい言葉をぶつけてきた。・・・・何故怒っているのか?。冗談が理解できないようだ。現在87歳4か月。自慢をしたわけではない。90歳を目標に頑張っているのが通じないようだ。いい年をして冗談が理解できない。情けない,いい加減にしろと言いたい。

川越駅から2分の所に消化器クリニックが開店していることを聞いた、駅から2分なので現在の胃腸病院から移ることにした。来週5月31日(火)聡が来るので3人で行く。交通の便が良いので歓迎だ。胃腸病院は消化器のメンテで永らく世話になったが今迄のように自転車では美也子のように転倒怪我が心配なので変更することとした。午後美也子に頼まれ徒歩で買い物に出かけたが気分も久しぶりに良好だった、足取りも難なく何とかこの体調を維持したいと思う。

ドウも記憶力の減退が激しい。早朝宮崎の相馬君から電話があった。内容は頓珍漢、話によると高齢者の施設に入っているとのこと。どうも身寄りのない独り身の高齢者の施設ではないかと思う。3か月間の入所その後1ケ月自宅の繰り返しのようだ。話は強気だが意味が取れない。奥さんはどうしたのか・・・・同情はするが勝手な話は会話にならない。私も他人事ではない。エクシオ同友会から米寿お祝いの寄稿の依頼があった。10月31日だそうだ。祝い金は2万円だが慶弔費の差し引きでゼロになるようだ。
感想を依頼されたが現在の生活では?まあ記憶力は残念だがボけがはげしい。、時々思い出すが忙しい毎日だった。現在正直言ってカミさんには従順それが平和で幸せなのかもしれない。幸せとは何か。難しい課題だ

2階の私の部屋は、大介の家に厄介になって以来掃除はしていない。美也子も体調不良で手を付けていない。整理だけはしたつもりだまあしばらく我慢しよう。昼過ぎ久しぶりに池1周をしたが些か疲れた。帰宅して、風呂の後不思議と耳鳴りが止まった。怠けていたのだろうか・・・・今後は規則正しく体調には気付けよう。私の薬の管理を美也子がやるという。頼みまっせ。ゆっくり風呂に入ったが、ゆっくりしたう。

不思議なご縁で、2020年9月に赤心堂泌尿器科でお会いしてから今日まで親しくお付き合いしている御夫婦で午後見えられた。ご主人は日本語が達者だ。奥さんは近いうち2世を誕生するとのこと。聡が午後から見えて賑やかなひと時を過ごした。 住いは我が家から近く陽気で感じの良い夫婦だ。聡がが昼過ぎ見えた。私が服用薬については。いろいろ世話になった。若干服用方法が複雑で面倒をかけているがボケと強情な私が勝手なこと言うので悪かった・素直に謝りたい。しかしこのボケ爺は頑固なことを言うので困った困った。勘弁してくれ・・・・・

美弥子に頼まれ、スーパーに買い物に出かけた。不慣れなので店内ウロウロ、何とか頼まれた食べ物は購入したが、さて帰宅はいま迄のように自転車でなく買い物袋を手に持って帰らねばならない。意外と重い。慣れぬので参った参った。帰宅して美也子に話すと、手で曳く車があるという。今後はそれにする。足元がふら付いたが今後は多分大丈夫だと思う。体力が元に戻れば良いのだが。このままでは老化に負けてしまう。頑張れ、がんばれ。ぼけにも負けるな・・・・・

庭が荒れ放題、自転車は美也子の怪我で2台ともこれを機会に処分を考えている。梅の木は聡が一応周りだけ手を入れてくれたが上部はそのまま,はしごが必要だが改めて考えよう。まあ見かけは良くしたつもりだ。内服薬が日々容易に服用できるよう整理を始めたが思うようにいかない、一応作ったが様子を見て改めて手を付けることとする。なぜか脚がよろける。聡の時はヨロヨロしたが続くこのままなのか・・・・何とか足を今迄のようにシャキと出来ないものか、高齢化まだまだ先のこと頑張ろう。

午前中、美也子に買い物を頼まれた。しかし耳鳴り、足がもたつく。いよいよ来たか大敵のボケが・・・まあ仕方が無いしっかりと眼を明け足を踏み歩くがんばれ 頑張れ。美也子も術後の体、不平不満は仕方が無い。私のボケに些か腹が立つのだろう。判っ
た、判った。パソコンがすっかり初年兵、仕方が無い焦らずのんびりやるさ・・・・


胃腸薬品が老齢化に伴い量、種別が増え日々の管理が複雑になった。特に日程。時間、量をはっきり日別に容易に服用できる様に整理して、日々正確に飲用できるようにした。また健康管理は薬だけでなく、体の維持管理を慎重に、また長くできるようラジオ体操を復活し、また外に出て徒歩を無理のない程度実施することとしたい。

日々の服用薬が容易に飲用できるように整理した。午後から必要な袋等購入すべく出かけたが時間がかかり帰宅が遅くなった。
美弥子が遅くなったことを責め立てられ、いささか不愉快な1日だった。自転車に乗らず歩いて、店を歩いたが不愉快千万。なぜ勝手なことをいうのか・・・・勝手すぎる・・・

やっと落ち着いた。しかし薬の整理、浣腸の扱いで美弥子、聡の2人と口論になった。浣腸は毎日の薬の服用が、きちんと計画的でない整理されてないため、不用意に便秘になるのだと美弥子が言う。迷惑をかけているのは事実だが、今まで便秘は何時なるのか薬用の効果が不安定で予測できない。また今迄間隔は1カ月あるいはそれ以上になっていることを説明した。確かに浣腸の操作は面倒、不定期、気分の良いものではない.また排便はきちんと計画的に出来るものでないことを、今までの事実を説明した。
 浣腸の操作は、面倒であり操作も格好悪く、不愉快極まるものだが何とか助けてほしいものだ。改めて宜しくお願いしたい;
これを機会に、気持ちよく操作をしてもらえるようできる限り、計画的に、衛生的に、不愉快にならぬよう注意し、心掛けすることとする。 

市役所に届け出、買い物等結構忙しいが、美也子が口煩いのには参った。体が不自では仕方が無い・明日聡が来る。1カ月以上良く面倒を見てくれた。感謝、感謝、夜詩吟の小菅先生と鉄炮塚さんに無事退院の報告と6月から教室に出席することをお願いした。以前の教室が懐かしい。明日からまた毎日が忙しくなるだろう。

快晴・今後の日々健康管理上の服用薬を整理する。午前中市の保険担当部門の窓口に伺い美也子の保険申請を行う。午後市の保険担当者が来宅、美也子の手術後の日常健康保持に必要な保全器具等の必要品等の割引購入措置等の説明を聞いてお願いした。午後私の日々保険薬品の整理を行うが、美也子は腰部骨折手術後のメンテナンスと重複し、いささか複雑な気持ちから感情的になったたようだ。無理もない話だが、私は美也子のことはお互いに精一杯老体の不自由な行動は理解しあっていかねばならないと思ってベストを尽くすつもりだ。

朝から雨、約1カ家を空けたせいか部屋が雑然として戸惑う。不自由な美也子はなおのことだろう。私も老齢化が進み87歳、今後の人生は今迄のように、動作、記憶力の点で上手くいかないだろう。美也子も同様で何とか夫婦共に理解しあい協力しなければならない。改めて新婚生活と同じだ。聡、康子さん大介そしてその家族、今後ともよろしく頼む;

朝から雨、約1カ家を空けたせいか部屋が雑然として戸惑う。不自由な美也子はなおのことだろう。私も老齢化が進み87歳、今後の人生は今迄のように、動作、記憶力の点で上手くいかないだろう。美也子も同様で何とか夫婦共に理解しあい協力しなければならない。改めて新婚生活と同じだ。聡、康子さん大介そしてその家族、今後ともよろしく頼む;

久ぶりの池歩き気分良く歩いた。いよいよ本格的に計画を立て健康つくりに励むこととする。頭のボケは気にしないこととする。やはり我が家は落ち着く、87歳何とか体つくり?に頑張りたい。90までボケは仕方がない毎日気分よく歩けること、気分よく食事が出来ること、気分よく眠れること、そして気分よく話が出来、笑いの毎日に向けて頑張るぞ。

先月12日、美也子が自転車から落車して、地元の南古谷病院に当初入院したが、藪医師の評判を懸念して聡の知人の世話で都内浅草の病院に入院した。以来32日間右股の骨節を手術して当初2ケ月はかかるといわれたが今日無事退院した。良かった良かった。聡,康子さん、大介ご苦労さんでした、そして私はその間聡夫妻の家で生活した。康子さんとお母さん、お姉さんに大変お世話になった。心から感謝したい。早朝聡の車で、また大輔は直接病院で落ち合った。関係者に挨拶後我が家に戻り一家揃って夕食を笑いの中で共にした。これからは元気に回復を祈るのみ。

何故か食欲がない。床に入っったまま夕方まで横になった。昨日の疲れか。明日は早い病院に美也子を迎えに行く。康子さんには迷惑の掛けっぱなしだ。夜も食欲なし

朝食度、競馬場を散歩した。好天気で気持ちが良い朝だった。帰途今日は先日通った浦和駅通から産業道路に足を向けた。残念途中迷子になって通行人に道を聞いた。教えられた道を進んだがどうやら迷子になった。また聞いているところに巡査がきた。同じように聞くと電話で別の巡査が来た。パトカーも来て尋問された.パトカーで送るという。近所は何事かと出てくるだろう。そこの聡が車で来た。一応礼を言ったが甚だ不愉快だった。聡には叱られた。もっとな話だが、私としては不愉快な1日だった。帰宅して謝った。午後今迄写した写真をカメラからわたしのパソコンに移してくれたので気が収まった。参った参った1日だった。

快晴、聡の車で帯津病院神経内科を受診した、担当の橋本先生は前任と比較すると親切に明快に診察してくれる。進行はしているが各段問題はないようだ。ブラビックス錠とアリセプトⅮ錠を勧められた。終わって川越の無人の我が家に行く。何日ぶりか部屋を掃除した。午後食事を済ます。聡が薬品の飲み方など扱い方を、詳しく教えてくれたがよく知っているので驚いた。今まで飲めば良し、特に飲む時間,量、等は気にしなかったが今後改めよう。今日は聡の薬の扱い方を良く教えてくれたことに感謝する。

 今日は、康子さんの亡父の命日、聡の車で 康子さんの母親。姉さんと聡夫妻5人の、一家の皆さんと墓前に線香をあげた。新宿の太宗寺は新宿にあり高校から四谷の電話局に通っていた時代よく知っている懐かしい寺だ。その後浅草で食事をした。浅草寺付近は,大勢の人出で賑わっていた。帰宅後聡が明日私の通院している帯津医院の神経内科医師「橋本獏先生」と対面して、私の容態を聴いてもらうため。過去の経緯、と現状等を聡に説明した。夜遅くまで感謝。感謝

昨日は風呂にも入らず、夜食も取らず床に入った。従妹の名前も忘れてた、後で思い出したが.参った、参った。聡に聞くともっと酷い例もあるとのことで幾らか安心?、美也子に電話すると元気で普段の言葉、愚痴が出たので安心した。後1週間なので声も元気だ。これからの行動は今迄のように任せっきりと言う訳には行かないことを自覚する。昼、康子さんのお母さんが見えた。今まで大きな病気は患ったことがないとのことだ。元気で1時間ほど話ができた。康子さん、お母さんどうも有難う。

午後の散歩は聡と墓参り。その後駅前道路を逆に何時もの散歩道の先を歩いた。気が付くと産業道路で今日はかなり歩いたようだ。昼食後浦和の長澤宅に車で出かけた、意外と近かった。しかし町の様相はすっかり違って驚いた.何年過ぎたのだろう田んぼ道はビルが建ち、小川は道路に化していた。角の肉屋が目に入り隣の家の庭先に従妹を見かけ声をかけたが驚いていた。すっかりばあさんだ。照子ちゃん?だった、名前は忘れた。しばらく近所を案内してくれたがさっぱりだ。長女の孝子に会った。すっかりばあさんになっていた、その後シンちゃんとも会った。すっかり貫禄のある芸術家だ。帰途浦和の常磐町をぐるりと回った.戦後間もない時代を過ごした思い出はあるが、現実はビル街,新国道の角にあった連隊区司令部跡が思い出の一片位だった。疲れた疲れた。帰宅して夕飯もせず横になった。今日は楽しい1日だった。

美弥子の退院が14日(土)が決まった。足の回復が順調とのこと、良かった良かった。当初医師から2か月以上と言われていたが良かった,良かった。現在杖は持っているが普通に歩けるようだ。これから帰宅後の日常生活をどうするか。私自身の有り方も慎重に考えよう、朝の散歩はほゞコース、時間が決まってきた。我が家に帰っても継続しよう。なぜか便秘になった。様子を見て
聡が処置してくれるという。夫婦揃って世話になるが参った参った。

今日も朝から好天気。墓前参りをすましたが毎朝の日課になった。昼過ぎ大介親子が来た。タイガは相変わらぬニコニコの笑顔、皆でそろって、墓参りの後浦和市内のイタリヤ料理、初めて食べたが旨かった。浦和は小学校の思い出がある。しかし玉像院の脇だが当時とすっかり変わってしまった。無理もない戦後間もないころだから半世紀は経過しているだろうが大いに+に頑張ろう。

快晴、いよいよ今朝は5月晴れ,美也子は電話で今日は祝日で病院は休みだと言っていた。元気な様子だ。もう少しだ。がんばれがんばれ。聡は私の薬には患者への個人的配慮がな無いという。言われてみれば同感だが、現代の企業は医学だけに限らない。これが常識的になっている。しかし親子関係は人の道を失なわず社会構造は人間の平和と健康を継続している。感謝、感謝。朝は昨日と同じで、公園から円蔵寺の両親の墓で小休止。地下で喜んでいるだろう。今度花を持ってこよう。考えてみれば何年も線香をあげなかった。二人とも笑っているだろう。明日は大介が来るという。ここに来る前、川越に来てくれた。夜遅くまでパソコンを見てくれた。毎日このようにいろいろな思いをパソコンに託してボケを防ぐことができる。そして聡、康子さんボケで迷惑をかけていますが。勘弁勘弁。

快晴。陽は強いが肌寒い。今朝の散歩コースは墓に朝の挨拶。定例になった。今度何か花を供えよう。今日は聡等2人とも午前中から勤めに出かけたので、終日のんびりした。大脇さんに電話で「カブの会」開催を提案した。先にコロナのお陰で2年以上延期になり先々月彼から開催の提案があったが私は減少傾向がみられるのでもう少し様子をと提案した経緯があった。高齢化の今日、元気のうちにと思うのは私だけではない。10月どうかと言っていたが大いに賛成だ.聡から健康食、運動靴、補聴器、ズボン、衣類、写真の印刷、他多数の日常品を買ってくれた。そして日常の健康薬品と生活指導を教えてくれた。感謝、感謝。
 詩吟の夢風会が昨日公民館のグループと一緒になったので鉄炮塚くんに電話をした。相変わらず元気の様子だった。

前日、郵便局に手紙を出しに行った時、眼に入っっ歩行専用道の両側が見事な花盛りなので、見とれていると通りすがりの自転車の爺さんが話しかけてきた。歳はほゞ同じくらいだ。戦争当時苦労した話をしゃべりだし、自動車の免許証を乗らないがまだ持っているという。通りすがりの私の顔等を見て何かの雰囲気を感じたのだろう。思いがけない楽しい出来事だった。
 さて私自身反省しなければならないのは、親という立場を良いことに子に甘えがあることに気が付く。もしも親に問題が起きた場合「親子」という繋がりより、人間として夫婦として行動しなけならない。「和」は親子関係以上に人間として対応しなければと痛感する。・・・残念甘えてしまうんだなあ

終日雨、夕方3人でユニクロに出かけた。ズボン、運動靴を買ってくれた。感謝感謝、毎日聡夫婦はよく面倒を見てくれる。美也子はどうしているか、2人部屋から移ったようだが対人関係はうまくいっているか?昨日、日記をつけるのが忘れてしまった。毎日聡夫婦に面倒をかけ、ボケがのんびりしているからだ。感謝感謝

快晴,聡と競馬場に散歩に。行く今日はレースはないが他の開催中の競馬場が場内で放送され、愛好者がそれを見てその場で馬券を買うようだ。競争が地方でもマニヤがいるもんだ。お世話になっている間機会を作って本馬場を見たいものだ。今日も失敗をした。夜聡に風呂に入るよう勧められたが友達に近況をとパソコンを打っていた。操作を。忘れて聡に聞きながら時間を忘れるなど風呂に入るのを忘れた。

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